昨日は人生初の宝塚公演を観てきました!

宝塚もそうですが、人生初の本格的なミュージカルだったかも?
オペラは何度か観に行ったことがあったのですが。

ご招待だったもので、演目の内容も事前によく調べることなく会場に向かい、公演が始まり観ていたら、、、

あ!!『エリザベート』 これはハンガリー王妃のお話しではないか!?

若返りの水、ハンガリアンウォーターの!
ハンガリー王妃、エリザベート。

70才を超えリューマチに苦しんでいた王妃がハンガリアンウォーターを外用したらみるみる回復して若返り、20代のポーランド王に求婚され、ハンガリーとポーランドは一つの国になった。
という逸話があり

サードメディスン入門講座ではね、歴史的背景や、サードメディスン的逆読み視点から若返りとしての薬理作用のお話を理論的に見つめることで、そのハンガリアンウォーターにまつわる美しい逸話を台無しにするのですが・・(笑)

そのエリザベートが! こんな舞台にもなっていたとは!?

と思って、帰って調べましたら、、、

勘違いでした。あはは。

ハンガリアンウォーターで有名な70代でポーランド王に求婚される王妃とその逸話は

 
ポーランド王女でハンガリー王カーロイ1世の王妃エルジェーベト(1305年 – 1380年)
でした。残念。

でも、面白かったですよー
数奇な運命を送ったエリザベートのストーリー。

 

時はハプスブルク帝国末期の19世紀後半。自由に飛び立とうとする女性は当時の貴族社会にはなじまず、彼女の深い絶望と願望はだれからも理解されることはありませんでした。不安と憂鬱に苛まされたエリザベートは、次第に自らを「黒い鳩」になぞらえ、悲劇の王妃と突き進んでゆくのです。  byミヒャエル・クンツェ(脚本家)&シルヴェスター・リーヴァイ(音楽)

エリーザベト (オーストリア皇后)の人生を調べてみましたが(ネットで)

面白すぎるので、Wikiに掲載されている目に付くエピソードをリストアップ

 

  • 姉の見合い相手だったオーストリア皇帝に見初められ、オーストリア皇后になる
  • 当時のヨーロッパ宮廷一といわれた美貌の持ち主
  • 美貌と痩身であることに執念を燃やし過酷なダイエットや美容方法でそれを維持していた
  • 贅沢ぶりは凄まじく、宝石・ドレス・名馬の購入、若さと美しさを保つための桁外れの美容への出費、絢爛豪華な城の建設、宮殿・城・別荘の増改築、彼女専用の贅を尽くした船や列車を利用しての豪華旅行などを税金で行っていた
  • 姑であるゾフィー大公妃がとりしきる宮廷生活や皇后としての義務や職務を嫌い、生涯に渡りさまざまな口実を見つけてはウィーンから逃避し続けた
  • 宮殿の外に出た際には暴徒に囲ませる、といった姑からの嫌がらせを受ける
  • 姑のゾフィー大公妃が嫌っていたマジャル人の住むハンガリー(当時オーストリア帝国の一部)を心安らぐ最高の場所とし、死ぬまでハンガリーを熱愛し続けた。その熱意は勉強嫌いの彼女が、短期間でハンガリー語を身につけ、皇帝とハンガリー貴族の通訳を出来るほどであった。
  • 人の好き嫌いが激しく気難しい性質だったため、姑のゾフィー大公妃の選んだ気に入らない女官を全員解雇して周囲をお気に入りのマジャル人侍女のみで固め、女官には徹底的に控えめに振舞うこと、ウィーンから離れた生活に耐え自分の旅行にずっとついて来ること、数時間ぶっ続けの激しい早歩きにずっとついて来ること、生涯独身を貫くことなどを要求した。
  • また自分とは正反対の、良妻賢母として知られるマリア・テレジアを敬愛し、病人や障害者、貧しい民衆に同情するなどの一面もあったが、最後まで皇后・妻・母としての役目を果たすことを一切放棄かつ拒否し続け、欲望のままに放縦な生活を送り続けた。
  • 息子ルドルフ皇太子の自殺、その後彼女は死ぬまで喪服を脱ぐことはなかった
  • 1898年9月、旅行中のジュネーヴ・レマン湖のほとりで、イタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニに鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺されて殺害され、その生涯を閉じた。

 

悲劇的な人生を送り、常に死に焦がれていたエリザベートを描くこの舞台では
トート(死)を恋人とすることで、エリザベートのハッピーエンドが迎えられます
主人公のトート(死)の歌 「愛と死の輪舞(ロンド)』

 
 
 
 
ミュージカル初体験な私が言うのもなんですが、長きに渡る宝塚の人気もわかった気がします
素敵な公演でした!
 

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